東雲結子:「10戸全部、家賃を3,000円上げます! 年36万円アップ!」

管理担当:「入居者さんが1人でも退去したら、どうなります?」

東雲結子:「……退去しない前提で計算しました」

管理担当:「その前提、かなり大家さん思いの入居者さんですね」

東雲結子:「電卓は優しかったのに、現実が急に厳しい!」

家賃を上げたい。最近の物価や修繕費、固定資産税を見ていると、そう考える大家さんは少なくないでしょう。ただし、値上げは「月額×戸数」だけで考えると危険です。増える家賃だけでなく、値上げをきっかけに退去が増えた場合の空室、原状回復、広告料まで同じ電卓に入れてみましょう。

月3,000円アップ。電卓は年間36万円と元気に答えます

10戸、現在の家賃が1戸6万円のアパートを考えてみます。全室の家賃を3,000円上げ、6万3,000円にできれば、満室が続く前提では年間の増収は36万円です。

ただし、これは「全員がそのまま住み続ける」という条件付きの数字です。値上げの損得は、入居者の反応まで含めて考えなければいけません。

項目 金額
値上げ額 1戸 月3,000円
戸数 10戸
1か月の増収 3万円
年間の増収 36万円

1人退去すると、増額9.6か月分が消える?

仮に、値上げをきっかけに1室だけ退去したとします。新家賃6万3,000円で2か月空室、次の入居者募集にAD(広告料)1か月分、原状回復・募集準備に10万円かかったと仮定すると、影響は約28万9,000円です。

28万9,000円 ÷ 物件全体の月額増収3万円 ≒ 9.6か月。

つまり、10室全部で家賃を3,000円上げても、たった1室の退去で「物件全体の値上げ約10か月分」が飛ぶ計算です。2室なら約19か月分です。家賃を上げることが悪いのではありません。退去率まで含めて、初めて値上げの採算が見えるということです。

1室退去の仮定 金額
2か月の空室 12万6,000円
AD 1か月 6万3,000円
原状回復・募集準備 10万円
合計 28万9,000円

「全戸一斉値上げ」より、部屋ごとの理由を作る

値上げするなら、私は全戸一斉に同じ金額を乗せるより、まず部屋ごとに現在賃料と周辺相場の差を確認することをお勧めします。

例えば、同じ間取りでも、長期入居で周辺相場より月5,000円低い部屋と、半年前に高めの賃料で入った部屋では事情が違います。更新時期だけでなく、設備更新や駐車場条件など、その部屋の価値が変わったタイミングも整理しておくと説明しやすくなります。

借地借家法32条では、税負担、経済事情、近隣同種の賃料などにより現在の賃料が不相当となったとき、将来に向かって賃料の増減を請求できるとされています。一方で、通知しただけで自動的に新賃料へ切り替わるわけではありません。実務では根拠を示して協議する姿勢が重要です。

値上げの根拠は「お気持ち」ではなく3枚の資料で

入居者さんへ値上げをお願いするときは、「物価が上がったので」だけでは弱いでしょう。少なくとも次の3つは用意しておきたいところです。

・近隣の類似物件の募集賃料
・固定資産税や管理コストなど、保有コストの変化
・対象住戸の設備や条件が分かる資料

ただし、募集賃料は「今まさに空いている部屋の希望価格」です。実際の成約賃料と同じとは限りません。1サイトの1物件だけを見て「相場は8万円です」と言うと、入居者さんから別の5物件を出されて会議終了、ということもあります。複数の比較対象をそろえましょう。

新規募集と既存入居者は、別の財布で考える

実務上は、まず空室や新規募集から新しい賃料へ切り替え、既存入居者は更新や個別協議で段階的に見直す方法もあります。新規募集なら退去リスクはありません。既存入居者の値上げは、今ある安定収入と入替えコストを天秤にかけます。

「家賃を上げたか」ではなく、「2年後に手元へいくら残ったか」で答えを出す。大家さんの値上げ判断は、この視点で見るとかなり変わります。

 

参考資料

借地借家法 第32条(e-Gov法令検索)

国土交通省 賃貸住宅標準契約書